2012年04月04日
南風原町長に会える!?
県庁の後は南風原町役場へ、大忙しです!
町長さんの都合がどうのということで何度も何度も日程の変更が行われました、
その度に仕事の日程をアレンジしました、とても大変だったけど、
これも町長さんとフェイスtoフェイスでお話をするためと頑張りました。
・・・でも、町長さんは結局来てくれませんでした
国吉真章副町長さんと、部下のお二人が参加というカタチになりました。

まず、国吉副町長さんがこういいました。
「私は放射能についてベクレルとかなんとか良く分かりません、
でもこれだけははっきりしています。
安全じゃないガレキを受け入れる事は決してありません!」
放射能の知識がないのにどうやって安全かどうか分かるのでしょうか?
会場からも質問が上がりました「南風原町は何をもって安全と言うのですか?」
国吉副町長さん
「もちろん国の8000ミリでしたっけ(←ベクレルですよ)?その基準も大事ですが、
例えばですけど、今沖縄県の普通に出ている値(←自然放射線のこと?)を超えない、
とかそういう感じで町としても安全に留意したいと思います。」
でも、すでに山形などでは、燃やす前は基準値だったのに、
燃やした後には2000倍にもなっていたという事例も報告されています。
検査方法に問題があるのだということです。
放射性物質は何百種類もあるのに数種類の検査で「安全」と決めてしまう検査、
今でも続々「実はストロンチウムも出ていました」とか、
「あのときは大丈夫と言ったけど本当はプルトニウムも検出されていました」
などのニュースがでいる状態ですから、
本当に何が安全なのか分からないのだと思います。
国吉副町長さんは、
「でも、まだ、私たちは正式に依頼されたわけでもないし、
これから色々検討していくという段階です。
町長も皆さんと同じ気持ちですよ。」
と続けました、その後会場からは公開質問状の読み上げと、
司会の高江洲さんからの提案で、避難してきた方の証言ということになり、
一人の女性がお話ししてくれました。
原発近くの町に住んでいた彼女たちが爆発について知らせてもらえなかった事、
翌日から家族みんな鼻血が続き、避難を決意した事、
沖縄に来て体調不良で病院を受診したら甲状腺に異常が見つかった事、
心配になって家族全員の爪を検査に出したところ、
沢山の放射性物質が検出され、特に子どもの値が高く注意が必要との結果が出た事、
怖くなって同じ様に被爆したと考えられる家族や友達に、
一度で良いから検査をして欲しいと頼んだところ、
連絡した全ての人の甲状腺に異常が見られた事。
涙ながらに語ってくれた彼女の話を、町の三役も真剣に聞いていました。
「メディアのみなさんは政府の広域処理についての報道と同じくらい、
被爆した方たちに健康被害が出ていることについても報道してください。」
会場からメディアへの方々へお願いする声が上がりました。
ママたちの会もコメントをしました。
「これは沖縄戦の証言に似ている気がしました、知らないうちに法律が変わり、
気がつかないうちに周りに軍人が来て、気がついたら戦争になっていた。
気付いた時に被爆していたという事になったら遅いのです、
せっかく避難してきた人たちから話を聞き、問題に気付き、
沖縄らしい方法で支援しようという声が上がっているのに、
安全かもしれないと覚悟して放射能のリスクを背負うというのは違うと思います。」
「私たちは結局東北のためとか被災地に寄り添ったつもりだったけれど、
本当は対岸の火事的に捉えていたのだと思います、
だって放射能について知識もなければ対策もしてこなかったのですから。
放射能を受け入れる事で受け継いできた命や自然を汚染するリスクを背負う、
そのことを子どもたちにどうやって説明していいのか分かりません。
安全と思っていたけれど安全じゃなかったとして、
共倒れしてしまっては支援もなにも出来ないと思います。
副町長さんは先ほど放射能についてよく分からないと言いました、
もし分からないなら、前向きに検討するとは言わないでください。」
途中で速報が入りました、南城市の古謝市長がガレキの受け入れに反対を表明との事。
南風原も頑張ってください、私たちも応援しますからという声が上がりました。
国吉副町長さんが、
「私たちもみなさんと同じ考えです、寸分も違っていないと思います。
もし、違う方向に話が進むようだったらもう一度こういう会を持ちましょう。
私たちは住民の意見を無視して頭ごなしに進める様な事はしません。」
と約束して会が終了しました。
町長さんの都合がどうのということで何度も何度も日程の変更が行われました、
その度に仕事の日程をアレンジしました、とても大変だったけど、
これも町長さんとフェイスtoフェイスでお話をするためと頑張りました。
・・・でも、町長さんは結局来てくれませんでした

国吉真章副町長さんと、部下のお二人が参加というカタチになりました。
まず、国吉副町長さんがこういいました。
「私は放射能についてベクレルとかなんとか良く分かりません、
でもこれだけははっきりしています。
安全じゃないガレキを受け入れる事は決してありません!」
放射能の知識がないのにどうやって安全かどうか分かるのでしょうか?
会場からも質問が上がりました「南風原町は何をもって安全と言うのですか?」
国吉副町長さん
「もちろん国の8000ミリでしたっけ(←ベクレルですよ)?その基準も大事ですが、
例えばですけど、今沖縄県の普通に出ている値(←自然放射線のこと?)を超えない、
とかそういう感じで町としても安全に留意したいと思います。」
でも、すでに山形などでは、燃やす前は基準値だったのに、
燃やした後には2000倍にもなっていたという事例も報告されています。
検査方法に問題があるのだということです。
放射性物質は何百種類もあるのに数種類の検査で「安全」と決めてしまう検査、
今でも続々「実はストロンチウムも出ていました」とか、
「あのときは大丈夫と言ったけど本当はプルトニウムも検出されていました」
などのニュースがでいる状態ですから、
本当に何が安全なのか分からないのだと思います。
国吉副町長さんは、
「でも、まだ、私たちは正式に依頼されたわけでもないし、
これから色々検討していくという段階です。
町長も皆さんと同じ気持ちですよ。」
と続けました、その後会場からは公開質問状の読み上げと、
司会の高江洲さんからの提案で、避難してきた方の証言ということになり、
一人の女性がお話ししてくれました。
原発近くの町に住んでいた彼女たちが爆発について知らせてもらえなかった事、
翌日から家族みんな鼻血が続き、避難を決意した事、
沖縄に来て体調不良で病院を受診したら甲状腺に異常が見つかった事、
心配になって家族全員の爪を検査に出したところ、
沢山の放射性物質が検出され、特に子どもの値が高く注意が必要との結果が出た事、
怖くなって同じ様に被爆したと考えられる家族や友達に、
一度で良いから検査をして欲しいと頼んだところ、
連絡した全ての人の甲状腺に異常が見られた事。
涙ながらに語ってくれた彼女の話を、町の三役も真剣に聞いていました。
「メディアのみなさんは政府の広域処理についての報道と同じくらい、
被爆した方たちに健康被害が出ていることについても報道してください。」
会場からメディアへの方々へお願いする声が上がりました。
ママたちの会もコメントをしました。

気がつかないうちに周りに軍人が来て、気がついたら戦争になっていた。
気付いた時に被爆していたという事になったら遅いのです、
せっかく避難してきた人たちから話を聞き、問題に気付き、
沖縄らしい方法で支援しようという声が上がっているのに、
安全かもしれないと覚悟して放射能のリスクを背負うというのは違うと思います。」

本当は対岸の火事的に捉えていたのだと思います、
だって放射能について知識もなければ対策もしてこなかったのですから。
放射能を受け入れる事で受け継いできた命や自然を汚染するリスクを背負う、
そのことを子どもたちにどうやって説明していいのか分かりません。
安全と思っていたけれど安全じゃなかったとして、
共倒れしてしまっては支援もなにも出来ないと思います。
副町長さんは先ほど放射能についてよく分からないと言いました、
もし分からないなら、前向きに検討するとは言わないでください。」
途中で速報が入りました、南城市の古謝市長がガレキの受け入れに反対を表明との事。
南風原も頑張ってください、私たちも応援しますからという声が上がりました。
国吉副町長さんが、
「私たちもみなさんと同じ考えです、寸分も違っていないと思います。
もし、違う方向に話が進むようだったらもう一度こういう会を持ちましょう。
私たちは住民の意見を無視して頭ごなしに進める様な事はしません。」
と約束して会が終了しました。
Posted by ガレキ処理以外のカタチで被災地を支援したい沖縄のママたちの会 at 10:18│Comments(0)